【 第一章 】中国への赴任が決まる

初めての中国は華東エリア

ボクが初めて中国大陸に上陸したのが確か2001年で、会社の研修旅行なる名目で上海へ。生産拠点があったため上海周辺の工場視察ということで社内からおよそ20~30名程度!?の選抜で行きました。

当時はまだ浦東空港から市内への道路も整備されておらず、大渋滞で余裕で2時間以上かかったものです。道は悪く交通ルールはムチャクチャで、車線や歩道、畑道など関係なく空いていれば突っ込んでいくと言った始末。そのおかげで道中の衝突事故は当たり前で渋滞が更にひどくなると言う悪循環。市内に着くまでの間に2~3度ほど接触事故に遭遇。”あ~、中国ってこういう国なんや~”と、異国感を感じたファーストインスピレーションでした。

【参考画像】昔の画像がないので数年前の上海の夜景を。(2016年6月撮影)

淮海中路(HuaiHaiZhongLu)付近の宿泊だったこともあり、街並みは ”意外に普通” という何ら日本と変わらないイメージでしたが、数日間に渡って視察に回った郊外の工場周辺は、市内から2時間程度の距離にも関わらず ”ココどこ?” っと言うぐらい景色が変わりました。今も郊外は変わっていないかも知れませんが、そのときの郊外と街との環境のギャップが大きかったのを覚えています。

それでも初めて中国上陸したボクにとっては ”中国って意外に住みやすいところ” という感覚でした。2001年12月の中国WTO(世界貿易機関)加盟ということもあり、2002年頃から社内では中国進出の話がチラホラ出てきましたので、「~序章~」でも書きましたが、海外赴任があれば ”いつでもどこでもいきます” という感じで過ごしていました。

【参考画像】上海へ行くと晩飯後によく行った「田子坊」(2016年6月撮影)

そしてついに中国赴任が決定

元々会社では別の社員に打診をしていたようですが、会社の要求とご本人の希望とのズレがあり難航していたようです。2003年に入ってからは直属の上司より「なんとなく準備しといたほうがいいかも」との話になり、それなりに先回りしてできそうなことを調べ始めました。

最終的に確定したのは2003年1月近い全体会議。赴任先は広東省の「深セン」で、赴任日が2ヶ月後の2003年3月24日に決定。何でも決まったらすぐ、というスイッチの切り替えが早い会社だったので、最短で段取りして赴任というスケジュールです。とりあえず中国へ行くことだけは決まったので本格的な準備に入ることにしました。

会社としては「独資で内販(中国国内で販売行為を行うこと)」が条件であったのですが、その頃は「保税区」というエリアに会社を設立しないと内販の許認可が下りませんでした。もし、保税区以外で内販したければ現地の会社とジョイントして持ち株は49%以下でお願いしますね、といったルールでした。当時の保税区といえば上海の「外高橋保税区」か深センの「福田保税区」の2ヶ所でしたが、取引先との絡みもあり必然的に「福田保税区」に設立で決定。

最低限のシンプルなミッション

  • 3/24に深センという場所に赴任すること
  • 独資で内販できる現地法人を設立すること
  • 事前に一度現地へ行き、赴任の下準備をすること

本社との決定事項は上記の3つぐらい。放任主義な会社は「段取りしとけよ」という程度で、特に指示や情報はほとんどなく、自分で調べられる範囲で準備を進めていきました。

最初のうちは「ホンマに何もしてくれへん会社やなぁ」と思っていましたが、後々感じたのは、それが逆に自分自身の成長に繋がり、ありがたかったと感謝しています。

タイトルとURLをコピーしました