【 第二章 】深セン赴任の準備

まずは日本でできるだけ情報収集

さて赴任に向けて本格的な準備に取り掛かるわけですが、海外などろくに行ったこともない(そもそも飛行機にも数回しか乗ったことがなかった)ボクでしたので結構大変でした。当時は仕事場でもパソコンが5名程度のグループに1台しかないという時代だったので調べもんはひと苦労。まだ紙ベースがメインで手書き文章をワープロで清書していた時代、現在のような「Google先生」は存在せず、検索と言えば唯一「Yahoo!」ぐらいが頼りだったと記憶しています。といってもネット上に今ほど情報があるわけでもなく、会社設立の方法などは連絡先が調べられる程度で、それらしきところへ電話して話を聞かせてもらうといった流れです。

並行して海外赴任するための自身の準備(ビザ、予防接種、その他金融関連や身の回りのいろいろ)は自分で調べドンドン進めていきました。

真ん中の「地球の暮らし方」を片手に赴任準備。右の2004年版ガイドは現地に赴任してからもらったものです。

このときの中国進出が会社にとって「海外法人第1号」となるのですが、「我が道は我がで切り開いてね」的な会社であったため、外部委託することもなく赴任社自身(ボクです)が自分で調べて準備することになります。社内には過去の事例もノウハウもなし。いろいろと相談できたのは、生産部門のトップと中国での生産管理をする駐在事務所の責任者、本社の中国人社員ぐらいでした。ボク以外は生産管理畑なので「中国でモノを売る会社の設立」となるとほぼゼロから情報を集めるしかなかったわけです。

その頃の中国は「世界の工場」と呼ばれており、日系企業はまだ「中国=生産拠点」の進出が多く、中国企業との合弁会社が多かったため独資法人設立は少なかったように思います。当時の中国は技術やノウハウを蓄積することに重きをおいていて税制の優遇処置制度なども多く、合弁先となる外資企業を積極的に受け入れることで多くの海外企業がなだれ込んできたものでした。

香港経由で深センへ

そして2003年2月末に初めての深セン出張。

確かその頃、深センへ入るには香港経由、もしくは広州経由のみで深センへの直便はなく、香港に進出していた協力会社などに教えてもらい香港経由にて行く形を取っていました。香港空港から列車~TAXI~列車~イミグレと言うルートです。その後ボクが日本と深センを行き来する際は下記のような感じでした。ただTAXIに関しては「チップがいる」、「スーツケースなどがあると別途料金がかかる」なんていうのは日本では習慣がないので最初は慣れませんでした。

  • 『エアポート・エクスプレス』:香港国際空港~九龍(カオルーン)
  • 『TAXI』:九龍(カオルーン)~紅磡(ホンハム)
  • 『KCR(九広鉄道)』:紅磡(ホンハム)~罗湖(LuoHu)

深センの玄関「罗湖(LuoHu)」という香港との国境でもある駅周辺には物乞いがうじょうじょいて、大きい目のかばんやスーツケースを持って歩いてると毎回引っ張られました。荷物を運ぶことでお小遣い稼ぎをしたいからなんですけど、慣れないうちはやっぱり気持ち悪かったです。しかもちょうどその頃は罗湖のコンコースが大工事中で大きな敷地が掘り起こされ、罗湖駅周辺がものすごく荒れた状況でそのいたるところに物乞いがさまよっている感じでした。タクシー乗り場で並んでても降りるときも必ずといって物乞いにつきまとわれることがお決まりのような環境でした。

すっかり整備された罗湖のコンコース(2008年5月撮影)

現地滞在3日間で「事務所、住居、スタッフ」を確定させる

深センに滞在する正味3日間で、

  1. 会社の事務所の場所を決める
  2. 自分の住居を決める
  3. 日本語が話せる現地スタッフの採用

という強行スケジュール。

悩んでいる余裕などなく、それぞれ ”はい、コレでOK!” みたいな感じでドンドン決めるしかない状況でした。

帰国後の半月間は赴任準備のため、病院行ったり、役所行ったり、顧客へのご挨拶やら送別会で過ごしました。

まだまだエピソードはあるものの、このまま準備の話が長いといつまでたっても中国に赴任できないのでとりあえず準備のお話はこの辺にし、次回以降は「深圳」についていろいろと話していきたいと思います。

yahong
yahong

赴任早々は仕事以外カメラを持ち歩く癖もなく、ほとんど画像が残ってません・・・。個人的にも痛恨の極みなのですが、代用できそうなものをテキトーに差し込んでいきますのでご了承くださいませ

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