私事ですが、中国生活14年目に・・・

自分自身にとって3月24日は記念日なんでアップさせていただきます。13年前の2003年3月24日に中国に赴任しました。気がつけば丸13年、ついに今日から14年目に突入です。13年と言うと長いですが、感覚的には非常に早かったです。

先輩の中には90年代を知る20年以上の方もいますが、自分が過ごしたこの十数年は中国が激動的に変化を遂げた時期であり、この時期にこの地に居られたことを非常にありがたく思っております。

個人的な内容になりますが、この13年間を振り返って少しお話してみたいと思います。

2003年、中国生活は深センから

赴任直後のスケジュールです。

自分が初めて赴任した中国は広東省にある香港に密接する深センと言うとところでした。ちょうど「世界の工場」と言われていた頃で、このエリアでは多くの日系製造業がすでに「东莞」という場所に製造拠点を出していましたが、自分は「内販(中国での販売)」を目的に会社設立のため赴任。ちょうど赴任してすぐに「SARS」なるものが大流行して話題になりました。SARS震源地だったので結構日本からは騒がれましたが、情報の少ない中国では普段どおりの日常でした。

正直そんなSARSのこと以上に街の空気感がかなり違うので常にビビりながら過ごしていたのを覚えています。とは言え、1ヶ月も朝から晩までブラブラしてると慣れてしまうもんで、何かといろいろなところへ足を運びましたね。

2003年2月の会議で正式辞令が出て、3月頭に社員面接と事務所、住居を探しに一度深センへ。2回目の深センが3/24の赴任日です。決定してからひと月ちょいというスピードでの中国行き。引越しなどなく、荷物はカバン3つだけの何もないところからスタートでした。

まだまだ発展途上だった深セン

その頃の深センはまだ地下鉄もなく、香港への国境である海関(イミグレ)近くの「罗湖(LuoHu)」もコンコースが大工事真っ最中でグチャグチャでした。少し大きなカバンを持っていれば引っ張られ、「運んでやる」と職のない人たちに絡まれたもんです。

ちょっと怪しい「上沙村」

亜熱帯エリアなのでフルーツは安くて豊富です。

深センで警察が立ち入らないエリアの一つ「上沙村(ShangShaCun」という中国マフィアが仕切っている街がありました。それゆえにインフラもちゃんと出来ていないそうです。ココに住む中国人の友人がいたのでいろいろ教えてくれました。

建築物は上から下へ!?

中国の建物は上から順番に下へというように仕上げられていました。

最近はちゃんとしたものも増えてきましたが、以前はほとんどこんな竹の「足場」でした。

まずは自分自身の現地化から

とにかく赴任した時に決めたのは「自分自身の現地化」ということでしたので、不気味であっても恐る恐るいろんなところへ行きました。

深センにいた1年2ヶ月は日本人との接触はほぼ皆無に等しく、現地で知り会った中国の方と日々をともにしていました。それゆえに今は、ど田舎へ行こうがあまり驚きもなくなってしまいました。

気がつけば一般企業の赴任者は2~3回転

気がつけば普通のサラリーマンで1回も帰らず十数年継続赴任している仲間もほとんどいなくなってきました。一企業でいうとすでに3代目、という方もおられます。

今いる長く付き合ってる昔からの友人は、

① 中国で起業している個人事業主。
② 人生のパートナーが中国の方でそのまま居残っている。
③ 一度帰任したけど中国に魅せられ、自主退職して現地採用で再就職。

と言ったパターンの方がほとんど。普通のサラリーマン赴任者は長くても8年前後では帰任されます。昨今は5年税制の件もあり、5年っていうのがキーポイントかもしれません。そういう意味では自分自身は結構特殊な方かもしれません。この13年間を語れば何日あればいいのかというほどネタは尽きません。

ちなみに北京では10年以上住んでいた場所を離れ、今月引っ越しました。ビックリすることに大家さんは「演员(「タレント)」さんなんです。

ということで、あと何年ここに居るのかは未定ですが、いる間は発信し続けたいと思っておりますのでご興味ある方はぜひともお声がけいただき、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました